小倉祇園太鼓

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小倉祇園太鼓とは

歴史

祇園祭の起こり

旧暦六月に行われてきた祇園祭は、小倉城を築城した細川忠興公が無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、元和3年(1617年)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものである。鉦(かね)、鼓(つづみ)、笛を用いたと記録にあり、その叩き方は「能」の形式であった。

江戸時代は八坂神社の祭礼として定着し、東西曲輪(市中を流れる紫川をはさんで東側が東曲輪=京町・米町・宝町・魚町・鳥町・大阪町・鍜冶町・堺町・船場町・長崎町・紺屋町・古船場町・馬借町・船頭町・舟町・新魚町・博労町など、西側が西曲輪=室町・八百屋町・魚町・大門町・竪町・田町・紺屋町・蟹喰町など)の各町内が、笛、太鼓、鉦をはじめ、山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していた。

太鼓祇園へ

太鼓の起源は小笠原藩政時代の「祇園会神事神山次第」という文書に、『万治三年(1660年)、囃方清五郎が藩主のお供をして江戸表に上り、山王神事の囃し方を聞き覚え、小倉に帰国後、子供四人を集め、教授せしが始め也』とあり、その頃から今のバチさばきが始まったと言える。江戸時代は出し物とともに、六尺棒にくくった太鼓を歩きながら叩いていたとされる。藩政崩壊とともに廻り祇園の形態はすたれ、明治、大正時代以降、山車に据え付けた太鼓を叩き、それに調子をとるヂャンガラが加わり、両面打ちの太鼓を主体とした祇園へと展開した。

小倉藩士屋敷絵地図(江戸時代末期)
小倉藩士屋敷絵地図(江戸時代末期)

小倉の祇園は金がふる

下関の有名な年中行事の一つである赤間宮の先帝祭と、小倉祇園祭は不思議にも天候に恵まれず雨が降ることが多かった。そこで当日、天気が良いと大変な賑わいとなり、十数万人の見物人で城下町は沸きかえるようなお祭りとなる。『関の先帝、小倉の祇園 雨が降らねば金がふる』といわれ、かつては商売繁盛、お賽銭の山が築かれた。

八坂神社(大正中期)
大正中期の小倉祇園太鼓

打法

全国的にも珍しい両面打ちが特徴で、巡行する山車の前後に据えた太鼓を歩きながら打つ。向う鉢巻に浴衣又は法被、白足袋に草履の衣装で、太鼓2台に4人、ヂャンガラ(摺り鉦)2人が織りなす調べは独特だ。

太鼓は皮の張り方により、面の音が異なる。低く腹に響く音がする面を「ドロ」という。もう一面を「カン」といい、高い軽やかな音で踊るように色々な符を打つ。二つの音をヂャンガラに合わせて、「品良くしかも力いっぱい打つ、地味に叩いて良く鳴らす」というのが正調だ。競演大会では一つの音を乱さず、技の優劣を競い合う。

ジャンガラ
ドロ(濁・ウラ又はモトともいう)
ドロは単調で、正しく平調にリズミカルに打つ。このドロが正しく打てていないとカンが打ちにくい。ドロがいわば基本となる。
カン(甲・オモテ又はホンともいう)
カンは色々な符を打つので、技術を要する。ゆっくりと正しく格調をもって、元気いっぱいに歩調を合わせて打つのが正しい打ち方だ。要するに腰を柔らかくして、手首と膝で打つのが秘訣とされる。
ヂャンガラ(摺り鉦)
ヂャンガラは太鼓の調律をリードするので、ドロ・カンをマスターした人が担う。

打法は町内によって若干異なるが、原則的な打法、基本的なリズムがある。それを基本に各人各様が工夫を凝らしており、これが祇園太鼓の面白さといえる。そして、その工夫を凝らしたバチさばきが積み重なって、現在の各町内の打法が完成している。子どもたちの元気なお囃子も、祭り気分を盛り上げる。

打法
打法

お囃子

お囃子

お囃子を聞く

小倉名物太鼓の祇園太鼓打ち出せ元気出せ
ア、ヤッサヤレヤレヤレ
小倉祇園さんはお城の中よ赤い屋根から太鼓がひびく
ア、ヤッサヤレヤレヤレ
太鼓打つ音海山越えて里の子供も浮かれ出す
ア、ヤッサヤレヤレヤレ
笹の提灯太鼓にゆれて夜は火の海小倉の祇園
ア、ヤッサヤレヤレヤレ
八坂祇園さんに揃うて詣れ揃い浴衣で皆詣れ
ア、ヤッサヤレヤレヤレ

国指定重要無形民俗文化財

小倉祇園太鼓は2019年(平成31年)3月、国の「重要無形民俗文化財」として指定されました。文化庁によると「神社の祭礼行事が歴史的変遷の中で太鼓芸を中心としたものに発展した希有な事例である」として評価されています。そして、①太鼓とヂャンガラによる演奏が三拍をひとかたまりと捉えるリズムであること②太鼓の両面打ちという演奏形態をとること③太鼓各面の打ち手それぞれが異なるリズムパターンを打つこと、④歩きながらの太鼓演奏を円滑にするための工夫が施された太鼓山車を考案していること―と、創作和太鼓とは一線を画するものとしています。

まず、民俗文化財とは、それぞれの地域に根ざした衣食住・生業・信仰・年中行事等に関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術及び、これらに用いられる衣服、器具、家屋、その他の物件など、人々が日常生活の中で創造し、継承してきた国民の生活の推移を理解する上で欠くことのできないものと定義されています。そして我が国の文化財は昭和25年に制定された文化財保護法に基づき、保存、活用が図られ、保護されています。

また、国は、有形、無形の民俗文化財のうち、特に重要なものを「重要有形民俗文化財」、「重要無形民俗文化財」に指定し、その保存と継承を図っています。また、重要有形民俗文化財以外の有形文化財のうち、保存及び活用のための措置が特に必要なものを「登録有形民俗文化財」に登録しています。その他に、重要無形民俗文化財以外の無形の民俗文化財のうち、特に必要のあるものを「記録作成等の措置を講ずべき無形の文化財」に選択しています。

文化審議会が答申した解説文を以下に掲載します。このように小倉祇園太鼓が評価されたことは、大変名誉なことであります。そして伝統に立脚した格式ある太鼓芸を、次世代へ継承し続ける国から課せられた使命と受け止めます。

文化審が答申した解説文=文化庁HPより

小倉祇園祭の小倉祇園太鼓

(1)文化財の所在地 福岡県北九州市
(2)保護団体 小倉祇園太鼓保存振興会
(3)公開期日 7月第3土曜を含む金曜、土曜、日曜
(4)文化財の概要
①文化財の特色
本件は、祭礼行事が歴史的変遷の中で太鼓芸を中心としたものに発展した希有な事例である。鋲留(びょうどめ)太鼓と手平鉦(てびらがね)による演奏は、三拍をひとかたまりと捉えるリズムであること、太鼓の両面打ちという演奏形態をとること、2名の打ち手それぞれが異なる音高(おんこう)とリズムパターンを打つことなど、芸態上の特色を有している。また,歩きながらの太鼓演奏を円滑にするための工夫が施された太鼓山車(たいこだし)を考案している点にも独自の展開がみられる。以上のように、本件は芸能の変遷の過程や地域的特色を示して重要である。
②文化財の説明
本件は、小倉の八坂神社例大祭において演じられる太鼓芸である。鋲留め太鼓を載せた太鼓山車を大勢で曳き、歩きながら打ち手が太鼓を打つものである。
太鼓の両面をそれぞれ1名、計2名が打つという両面打ちで,「ヂャンガラ」と呼ぶ手平鉦に主導され、演奏される。一人が「ドロ」と呼ばれる周期的なリズムを打ち、一人は「カン」と呼ばれる複数のリズムパターンを組み合わせて構成されるフレーズを打つ。ドロに比してカンは高音とする。この演奏は、三拍をひとかたまりと捉える他に例を見ないリズムを有している。
小倉祇園太鼓は、前方と後方に1台ずつ、計2台の太鼓を載せた太鼓山車を用いる。太鼓山車の基本形は太鼓を載せる腕木(うでぎ)と台車にあり、台車に装着された腕木の位置は、歩きながらの太鼓演奏がしやすいよう工夫されている。
小倉では太鼓の芸態を「風流(ふうりゅう)」「雅(みやび)」と表現する。伝統に基づいた打法等が定められており、個人の創作性を重んじる創作和太鼓とは一線を画するものである。

「地域伝統芸能大賞・活用賞」受賞について

北九州市は2016年(平成28年)3月7日、小倉祇園太鼓保存振興会が一般財団法人地域芸能活用センターから、「地域伝統芸能大賞・活用賞」に表彰されたと発表しました。最高賞の高円宮殿下記念地域伝統芸能賞に次ぐ賞で、祇園太鼓を通して正しい打法、礼儀作法の継承、地域の絆や街づくり振興に貢献してきたことが評価されました。

 

そもそもこの表彰は、同センターが地域伝統芸能の活用を通じ、観光の振興や地域商工業の振興に多大な貢献をしたと認められる団体や個人を顕彰するために制定されました。受賞には祭りの保存と継承、地域の結びつきが重要視されており、簡単には受賞できない格式の高いもので、この受賞は大変光栄で喜ばしいものです。

   
平成28年10月29日滋賀県長浜市長浜文化会館にて、授賞式が行われました。

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